2011年12月 2日 (金)

FMちゅーピー「3.11」にて話してきたよ

 11/30(水)、FMちゅーピーの「3.11」という番組にて話をしてきました。

 人の話にあいのてを入れるのは得意なんだが、インタビューされるのは慣れてなくて、なんだかぼそぼそしゃべってきました。

 ディレクターさんに、「元気にいきましょう、遠くまで伝えるつもりで!」とハッパかけられましたが、「はぁ・・・」と。

 そもそも、被災地に行ってもない自分がラジオ番組なぞ出演してエラそうにしゃべることなんかひとつもないという思いがずっとあり、元気にしゃべれず。
 で、しゃべるにあたって、「なぜ○○なのか」とか「○○すべきだ」というように、アジる(えーと煽るというか)のは絶対やめようと思っていました。支援するのもしないのも、それぞれの勝手。とはいえ、聞いた人のふたりくらい、ふーんと思ってもらえたら上等・・・(すいません)。

 パーソナリティーの内海さんの上手なトークで進行します。ドキドキ。

 始まる前や曲の間に雑談したとき、内海さんがこうおっしゃってました。

 「ブログやいろんな資料を拝見して、あなたとっても感受性が強くて、いろいろツイッターとかで見聞きしたことがこう、わーーっと自分の中に入って来て、だから個人でこうやって立ち上がって支援してらっしゃるんだなーって思ったの。」と。


 感受性が強いのだろうか。

 なんというか、西日本に住む人もすんごいショックを受けたと思う。
 テレビで何度も怖い映像を見て、被害の多さ、亡くなった方の多さ、とんでもない様子の街、とにかく怖くて、なんとかしなきゃ、できることをしなきゃ、とみんな思ったんだと思う。

 だけど、恐怖を抱えて暮らすのは相当のストレスだ。
 身内や友人に被害がなければ、日々忘れて行くのはストレス回避という観点からすれば自然なことなのかもしれない。

 今回出演するにあたって、過去のものを読み返したり、いろいろ調べたりして胃が痛くなった。
 まだこんな状況なんだ、こんなに寒くなるのに、なんとかならないのか、どうしたらいいのか、無力感と心配と、そういうものが重くこみあげる。

 手助けもできず喜ばれもせず、報われない思いを抱え続ける
 忘れないって、そういうことも含まれている。
 感受性が強ければ、耐えられないのではないか。わたしはむしろ、鈍重だから、そういうのをずっと反すうしているのではないか。そんな思いがよぎる。

 それでも、忘れてはいけないんだと思う。


 現地に行ってもないのに、と話すと、内海さんは「それは関係ないとおもうわ、」と。
 ご自身も5月に、福島のお友達のうちを拠点に被災地を見て廻られたんだそうだ。
 「国道のね、こっち側は普通にコンビニもやってるのよ、でも、反対側はなにもないの。家が、傾いて残っていて、2階の窓にカーテンがゆれてる、本棚も見える、でもそこにだれもいないのよ。」
 見たか見ていないかよりも、自分自身の問題として感じられるかのほうが大切だと言われた。

 もし自分だったら・・・という、その想像力を鍛えたい。

 できることをできるだけやりましょうという話で、
 「3000円一口でパソコンやミシンやこたつを送るという寄付もありますよ、3000円なら映画2回分・・・」と言って、あ、と思った。
 何かを我慢して寄付する、ってのは続かないかもなと。

 つらいことや我慢や心配や怒りは、ずっと続けて抱えていると、体を蝕む。

 どうしても、それを包むあたたかさがいる。チャーミングだな、いいな、だったらやろうかな、そういう思いがいる。

 どうか、ユーモアで。
 笑いながら手をのばすイメージで。
 
 まあ、うまく話せないながらも思ったことでした。
 話す機会をくださってありがとうございました。

 ※「3.11ブログ」で紹介していただきました。

 

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夏のタオルケット支援・収支報告

 夏に「タオルケットを送ります!」と呼びかけましたら、タオルケットだけでなく、たくさんのカンパも送ってくださいました。

 封筒をあけると、手紙と一緒に「役立ててください」とお金が。
 ありがとうございました。

 東北まで、段ボール箱を何箱も送るので送料もかかりました。その収支報告をしておりませんでした。

 ーーーーーー
 義援金の合計は36,530円でした。
 そこからタオルケットの送料9件分(8,100円)を
 差し引かせていただき、残高は28,430円でした。
 ーーーーーー

 発送をお願いした「お宙」さんに集計をしていただきました。

 そしてその残金は、「ビタミン計画」さまに全額お振込いたしました。

 ーーーーーー
 こんばんは。
 ご入金確認致しました。大変高額のご支援に驚いております。
 ーーーーーー
 と、ビタミン計画発起人の飯塚さまからメールいただきました。

 収入のめどが立たないと、食うことがおろそかになる、心もすさむ、
 せめてお届けする野菜を食べてもらったり、野菜をコミュニティで育ててもらったり
 そうしながら、あたたかく冬を越してもらいたいと思います。

 ありがとうございました。


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2011年10月28日 (金)

小さな声でも

 広島のコミュニティFM「FMちゅーピー」では、この8月から、東北の震災復興支援のためになにができるか考えたいと「3.11」という番組をはじめられたのだそうだ。

 夏にやった「タオルケットを東北に送ろう」という動きを中国新聞に記事にしてもらったのを読んだディレクターさんがこの「ねこのて便り」を見つけて、メールを送って来られた。

 その番組に出て、わたしの活動について話してほしいとのこと。

 被災地に行った事ない。自分の目で耳で聞いてない。

 えらそうに話すことなんかなんにもない。

 しかしまぁ、お目にかかって話をということだったので、中国新聞社ビルの9階にお邪魔して来た。

 これまでのいきさつを、ぽつぽつと話した。

「あの津波が街や畑をのみ込む映像を生中継で見まして、なんというか、ヒステリックになにかしなきゃ、と、怖さを打ち消すように募金とかしたんですが、月日が経ちますと、その募金もまだ届かないとかで、耳に届く情報も少なくなり、なんとなくツイッターのタイムラインもくだらないムダ話にもどりまして・・・

 でも「水が足りません」「食料が足りません」というリツイートを見まして、なんで?もうずいぶん経つのにまだなんでそんなことになってるの?と、現地で活動されている方や現地の方をフォローして耳を澄ますようにしていましたら、夏になるのにタオルケットがない、600枚足らないとか聞こえてきまして、600枚って、国は何をしてるのか、行政は一体、なんて憤ったところで何にもなりませんので、あ、実家にストックがあったな、広島のお年寄り世帯には絶対引き出物とか大事にしまってるはず、などと思いまして・・・」

 神妙に聞いてくださったディレクターさんが

「ああ、ヒステリック・・・思い出しました、当時の感情を。そういうのを、伝えなきゃと思うんです。」

 もう、忘れかけてるよなぁ。自分の身に起こっていないことには鈍感で関心がなく忘れてしまう。

 それは自然なことなのかもしれないけど

 もし、自分があの場で、一命を取り留めたが、息子も夫も母も家もなにもかも流されたとしたら、どうやって生きて行けばいいのだろうと思う。生きていくのだろうかと思う。

 生きていかなくては。

 食べなくては、仕事して稼がなくては、あたたかい場所と人がいなくては。

 さいわいわたしはここで無事だ。豊かじゃないけどまぁ食えてる。ならばできることはいっぱいある。

 寒くなる場所にストーブを送る、野菜を送れば食費が助かる、

 ふんばろう東日本プロジェクト復興市場アゲマスビタミン計画・・・

 案外知らない人が多い。そういうことを伝えられるなら、番組で話せるかも。

 ボラバスに飛び乗って現地で役に立ちたい思いを、叶えられなくて申し訳なく思う。

 せめて、小さい声でも、誰かの気持ちに届くよう、話してきます。

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2011年10月18日 (火)

東北はもう冬。ストーブ送ったよ

中野さん(@nakano)のツイートで知りました。
宮城県牡鹿半島「給分浜かき養殖復活プロジェクト!」の「さらまま」さんが、ストーブ支援を呼びかけられています。

広島とは比べ物にならないくらい、東北の秋は短くもう冬が来ているんだと思います。
こっちも朝晩寒いですもんね。
壁の薄い仮設住宅の寒さはとても防ぎきれるもんではなかろうと心配します。
ストーブ(石油使用可だそうです)、ホットカーペット、こたつ・・・
暖めるものすぐにも必要です。

今日は11日、震災から7ヶ月です。もう興味関心を示すことすら見えなくなりつつある、そういう自分にも気がつき恐れます。

アマゾン欲しいものリストから送らせていただきました。

St


目標の80台達成されたそうです。よかった!

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2011年10月 5日 (水)

「被災地支援コーナー」の違和感

 広島そごう「宮城県の物産と観光展」に行ってきました。
 今日最終日だった。もっとはやく行ってお知らせすればよかった・・・すいません。

 チラシに「復興へがんばろうコーナー」とあったので、どこかな、と見ると、会場のいちばん端っこだった。
 「浜のミサンガ環」や「夢多幸鎮オクトパス君」など、手仕事でつくられたもののほかに、海苔やフカヒレがあった。
 でも、そこはなんとなく、しーんとしていた。

 隣は震災写真パネル展示。
 お母さん方が「ああ、これ見るとねえ、ひどいわねぇ・・・」と言いながら見ていた。
 食い入るようにみて、みんな表情は沈痛だ。

 その横の「復興へがんばろうコーナー」も見るけど、あんまり買われている様子もなかった。
 よくよく見たわけじゃないので、よくわからないが、なぜそこでどうしてフカヒレ売ってるのか、わからなかった。
 チラシ見たら「仮工場で唯一生産しているふかひれスープ」なんだそうだ。
 わたしも、買えなかった。なんとなく、通り過ぎちゃった。

 なんでなんだろう、この違和感なんだろう。

 「宮城県の物産と観光展」だから、もちろん沿岸部の被災地のことが頭をよぎる。
 美味しいものいっぱい買って、復興の足しになればと思って行くと思う。
 「いらっしゃいいらっしゃ〜い、どうぞ、これずんだ餅、美味しいよ!食べてって!」
 お店の人が差し出す試食を目を丸くして食べて、ついつい買っちまう。
 そういう、だらしなくも楽しい場だ。物産展って。

 そこで、「復興へがんばろうコーナー」を目にすると、なんの被害もなくて、日々忘れかけてて、うまいもの探しに来た能天気な自分に、自分で気がつく。申し訳なくなる。そっとその場を離れる。

 「復興へがんばろうコーナー」の商品から買うことが、わかりやすい支援だ。でも・・・

 「支援のために買う」、のではなく、「そりゃあいいね、買おう、支援にもなるしね」という順番なら、罪悪感を感じずに、楽しく買えたかもしれない。

 「復興へがんばろうコーナー」なんて区別せずに、にぎやかなブースに「震災にまげてたまっか!」とかののぼりがたって、「はいこれね、流されずに残った倉庫にあった海苔なの!ど根性海苔だよ!しかも味は間違いないよ!食べてって!」なーんて言われたら、「えー!すごいですね、がんばってくださいね!」なんて、2、3袋買ったと思う。

 ・・・都合のいいことばっかり言ってると思う。すいません。
 でも、意外と「被災地じゃない罪悪感」って、胸の深いところにあるんだなと思ったのだった。
 それをうまく「がんばってね!」と解放させられる呼びかけをすれば、何かしたい思いに素直になれると思った。

 ぐるぐる歩いて、りんご買った(これたぶん宮城県じゃない・・・)
 あと、三陸のさんま一夜干し買った。干し方がいいのか、旨かった!

 どうか豊かな海の恵み山の恵み、戻りますように。
 そう思いながら帰宅した。

 

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2011年9月29日 (木)

「浜のミサンガ環」届きました

 キャッシュフォーワーク、という言葉が気になっています。

 東北の被災地では、もう「避難所」はほとんど解散して、みなさん仮設住宅に移られたと聞く。

 先日、朝のNHKの番組で「仮設に移ったはいいが、生活に不安」という特集を見ました。
 
 多くの人が仕事を失ったり、給与を減らされたりしていて、「この先」の見通しがたたないといいます。
 その特集では、女性の職探しをレポートしていました。
 ハローワークに行っても、あるのは重機を使った男性の仕事ばかり。
 あとは、介護などの資格がないと難しい。
 一般事務職の求人は少ないのだそうです。
 その方は、工場を再開した水産加工の仕事にやっと就くことができました。お母さんと娘さんと3人の暮らしがこれでなんとか、とほっとした様子でした。

 まだ一周忌も迎えてない。仮の住まいに移ったとしても、ぽっかりぼんやりしてしまうと思う。
 とはいえ、毎日3度食べなくてはならない。貯金を切り崩すか、それすらなければ、今日食えても1ヶ月先のことがわからない。

 とにかく、継続した収入がないと、「ここから」どこにも行けない。

 キャッシュフォーワークというのは、「魚ではなく釣り竿を」という支援の考え方。

 前のエントリの「大槻復興刺し子プロジェクト」がそうです。

 避難所で、することがなんにもないお母さんたちが集まって手仕事をする。
 集まって話しながら、笑いながら手を動かすと気がまぎれる。
 完成させて売れたら、多少の手間賃が入る。
 それはとってもいいことだと思った。

 この、「浜のミサンガ環」もそうだ。

 仕事があると笑顔になる。三陸のお母さん方の笑顔、もっと見たいです。

 これを知ったのは7月くらいでしたが、毎回あっというまに売り切れる。
 ので、やっと9/11に申し込むことができました。

 で、先日うちにやってきましたよ!

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 漁網を麻ひもで編んであります。

 なんか“日本版ドリームキャッチャー”みたいです。夢も希望も一網打尽。喜び大漁や〜。

 「環」とは、日本古来のブレスレットの呼称なんだそうです。
 もう1本の細いほうも、綺麗な色です。

 次回は10/11にインターネット販売だそうです。

 さて、今日から広島そごうで「宮城県の物産と観光展」が始まりました。 

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 この「復興へがんばろうコーナー」の写真に見えるのはこの「浜のミサンガ環」なんじゃないかと思うのです ↓

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 もしかしたら、ここで販売しているかもしれません。

 それにしても旨そうな物ばっかりだー!
 こういう機会に買っておいしくいただくと、宮城の会社が儲かって、雇用に還元されるかも。

 個々人のできることはわずかだし、小さい。

 でも、そのアクションはかならずつながってどこかに作用して何か実る。
 「環」ってことなんじゃないかと思うのです。

 忘れない。忘れたふりしない。なにもできないなんて思わないで
 
 さあ、そごうに牛タン食いにレッツゴー!!

 

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2011年9月13日 (火)

大槌から、かもめがやってきたよ。

 
 「大槌復興 刺し子プロジェクト」
 で、かもめのふきんを購入しました。

 このプロジェクトを知ったのは7月ころだったかな。

 ーーーーー

 ・・・多くの方が避難所での生活を余儀なくされる中、男性たちには瓦礫の片付けや自宅の修復など、しなければならないことが山積みです。

  一方で,女性たちには家事をするための場所がありません。
 漁業に携わっていた女性は仕事を失い、パートに出ようにも、車も、職場もありません。

 働き者の大槌の女性たちの生活は、一変してしまったのです。

 このような現状をなんとかしようと、大槌のおなごたちが立ち上がりました。

 帰るべき家を失い、大切な人を失い。
 目を背けることのできない,厳しい現実の中で日々を過ごす女性たちに、今あるもの。
 それは、"今日を生きる"という強い気持ちです。

 避難所で一日中横になって日々を過ごしていた,おばあちゃんも。
 仕事を失ったお母さんも。
 働き盛りの若い女性も。

 復興への強い願いを込めて、一針ずつ、一つずつ丁寧に作っていきます。

 大槌町発、一歩を踏み出した女性たちによるプロジェクトです。

ーーーーーーー(HPより引用)

 あんまり失った物が大きすぎて、どこから太刀打ちしていけばよいのかすらわからない。
 自分がそこにいたって、途方にくれているだろうと思う。
 避難所で、せめて集まって、無心にちくちく針仕事をするのは、ちょっと落ち着くだろうなあと思ったのでした。

 注文して、1ヶ月くらい待ったかな?

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 きちーんとたたまれたふきんが3枚。
 「かつ」さんの、ありがとうございます、という自筆のメッセージが。
 かつさん、こちらこそありがとうございます。

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 ひと針ひと針ていねいに刺されて、ふんわりやさしいかもめが、芽吹いた草をくわえて飛んでます。

 両方の母にプレゼントしました。

 「そうやってねぇ、まあ、きれいにきれいに作っちゃって。。。」

 大事に使わせていただきますね。

 


 この糸を仕入れている先の有限会社飛騨さしこさんが、糸を支援するキャンペーンをされています。
 「飛騨刺し子 刺し子糸支援」

「魚(物資)を送るだけではなく、次は釣り竿(自立支援方法)を送りたい」という、大槌復興刺し子プロジェクトの方の言葉に心を動かされたのだそうです。

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2011年8月13日 (土)

「タオルケット」お礼のはがきいただきました

 第一便でお送りしたタオルケット、届きました!とお電話をいただいたとお伝えしましたが、その後、おハガキも送ってくださいました。
 ご紹介します。

◎東松島市 Oさん

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 いただいたおハガキにあったご住所、
 「宮戸小学校グラウンド応急仮設住宅○ー○」とありました。

 広い体育館からとりあえず仮設住宅に移られたとのこと。
 でもプレハブの仮設は決して快適とはいえないと思います。
 2年後までには出なくてはならないと聞いています。

 仮設住宅のみなさんが、新しい「住所」を記される日を願っています。


◎石巻市 Kさん

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 ちゃきちゃきのお母さん、Kさんもおハガキくださいました。

 「もう一度 石巻を復興させる、負けてたまるが という思いで一日一日を送っています!」

 ぶちまけたいような怒りや悲しみや、そういうものを燃やしながら暮らしておられるんだろうと思います。
 その強さに頭がさがるし、大きな声で応援したくなります。


◎福島県 南相馬市 Iさん

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 原発から20.3Km地点にお住まいのIさん。
 お電話でもおはなしさせていただきました。
 「原発では、まだまだ、問題が次から次と追いかけて来ています。
 それでも私達は、この地でがんばって行こうと、皆でがんばっております。」

 そこで暮らす方々のことを思います。

 どうかお体に気をつけて、お元気で、お過ごしください。

 わたしも、できることを続けていきますから。


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第2便、タオルケットお送りしました。

 前回の第一便発送後、まだぽつぽつとお問い合わせがありました。
 
 「おそら」さんのお店に持ってきていただいたり、送っていただいたり、わたしもお仕事先の方に「これ送ってあげて」とバスタオルやタオルケットを預かったりしました。

 もうすぐお盆。立秋過ぎたとはいえまだまだ暑い。早く送らなくちゃ。

 ということで、第二便、タオルケットをお送りしてきました。

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 むぎゅ〜〜〜
 ボディプレスして荷詰めする息子。

 今回もご家庭で大事にしまっておられたであろう、贈答品の新品タオルケットをたくさんいただきました。ありがとうございました。

 今回も「ふんばろう東日本プロジェクト」のマッチングシステムを利用しました。


 ◎福島県いわき市 Mさん
 「仮設住宅に移ったばかりで何もない状態です。」

 ◎新潟県三条市 Kさん
 「福島県南相馬市から新潟県へ避難してきました。自宅は高台にあったので津波の被害は免れましたが、福島原発から半径20km圏内のため自宅に帰ることができません。現在三条市が借り上げてくれた雇用促進住宅に夫婦2人で暮らしています。福島ではシイタケ栽培をしておりました。こちらに来てからはシルバー人材センターに登録して仕事を探しながら生活しております。」

 ◎宮城県気仙沼市 Yさん
 「仮設住宅の要望をまとめ代理投稿です。仮設戸数は20戸、人数は50名。」

 上記3カ所にお送りしました。

 ほんとうは、ほかにも、米やミシン、服やレンジラックや炊飯器・・・いろんな「必要なもの」が列記されていました。
 ごめんなさい、今回はタオルケットとバスタオルを送らせていただきます。

 「ふんばろう東日本プロジェクト」では、「家電プロジェクト」が進行中です。

 家庭に眠っている家電製品を集めて、被災地で必要な方に配布するプロジェクト。

 集積所で持ち込んだ人が商品タグに名前を書く「顔の見える支援」。
 だから、持ち込んだ人が責任もって動くかどうかチェックしきれいにして渡すのだそうです。

 しかし、広島では集荷イベントがありません(山口県周南市では集めたそうだ。すごい!)
 集めても、ここから運ぶ手だてと送料が大変だ・・・


 もし、必要でない、でもまだ十分使える家電製品があったら送りませんか?

 もし、あまった家電製品がなければ、「支援金で協力する」というテがあります。

 一口3000円、扇風機、掃除機、冷蔵庫、洗濯機といった被災者が必要としている家電を、できる限り地元企業から購入し、被災者の方へお届けしてくれるそうです。

 こういう「即効性のある」寄付もいいと思います。

 

 

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2011年7月26日 (火)

「タオルケット届きました」の声

 「東北にタオルケット送ろう」第一弾、
 7/13(火)に梱包して、14(水)に伝票貼って発送しました。

 翌週、ケータイに「届きましたよー」のご連絡をいただきましたので
紹介させていただきます。


7月16日17:15
東松島の避難所のOさん

「あのー・・・タオルケットを送っていただいた東松島の避難所のoです。
 ありがとうございましたー。たくさん送っていただいてー。
 今わたしたちは小学校の体育館をお借りしてるんですけどね、ネットで半分にしきって小学生が横で体育してるんですよ。昼間はね。天井が高いからね、寒かったんですけど、今は暑くてねー。
 ええ、扇風機はおかげさまでね、東松島市からの支援で配っていただいてます。
 仮設住宅はいろんな場所にあるんですけどね、赤十字の家電がなかなかそろわないそうで、それがそろったら移れるそうなんです。あと十日くらいでしょうかね。
 なにせねー、ぜーんぶ流されましたからね、なんにもないんですから、とっても助かります。全国の方にこうして支援していただいてねー。
 ほんっとにありがとうございましたー。
 みなさんで集めてくださったってー。ほんとにねー、みなさまにもよろしくお伝えくださいねー。」

 柔らかな声の年配のおかあさんでした。淡々と話されていましたが、ここまでのご苦労はいかほどだったでしょう。
 いろいろ聞きたいけど、声が詰まって出ませんでした。
 もうすぐ仮設住宅に移られるということで、少しは落ち着かれることでしょう。
 でも、そこも2年で出なくちゃいけない。収入のアテはあるのだろうか。
 ・・・心配です。
 でも、お話しされる声は明るく弾んでおられました。
 むしろ私がめそめそしてました。だめですね。
 

7月17日18:30
宮城県石巻市Kさん

「あ、もすもす?石巻のKっていいますー。あのー今朝、でっけぇ荷物が届いで、なんだっぺーってあけてみて驚きましたーありがとーう。
 もーうこっちも暑っつくなってきでねー。今32℃よー。
 もーう石巻はいいどこなんだけんど、水産加工の街でねー、今ハエが、もう、すんごぐてねー。夜もハエと格闘して寝られねえぐらいなのー。
 娘もねー、学校なぐなっちゃったもんでー、7時10分までに毎朝送っていがねばなんねのー。もーたいっへん。
 このへんなーんも流されてねー、みーんななーんも無くなっちゃってるから、助かりますー。こうして全国の方からねー支援してもらってねー、ありがたいねーって娘と話してたんですー。
 ほんっとに。遠く広島からねー、送料もかかるのにねーって。
 みなさまにもよろしくお伝えくださいねー。」

 耳慣れないお国言葉で、しゃきしゃき話されるKさん。
 わたし、東北弁の方と話したのはじめてかもなぁと思いながら話しました。
 いきいきと弾むようなその聞き慣れない言葉が、被災地の遠さと、遠いけどそこでこうして笑ったり泣いたりする人が暮らしてる生々しさを感じました。
 娘さんは小学生なのか中学生なのか聞きそびれてしまったけど、学校も流されて、遠くの学校まで毎朝通ってるんですね。
 どんな状況だろうが、日々の暮らしはそこで続くのだ。
 どうかお体に気をつけて、お元気で、と伝えるのがやっとでした。


7月18日7:47
福島県南相馬市 Iさん

「あのー、朝早くすみません・・・福島の南相馬のIです。
 夕べ荷物が届いて、夜だったから、今朝お礼をと思ってお電話させていただきましたー。
 うちは原発から20.3Km地点なんです。ほんの300mの差で、そこから向こうの人は強制退去でしょ、津波で流されてね、おまけに原発でね。
 20Km圏内の人なんかたまらないんです、自分の家に帰るにもね、ビニール袋1つしか持ち出せないんですよ。もういつ戻れるかわからないし。
 このあたりもね、ようやく商店とか薬を売ってるようなお店も開き始めたから助かるんですけどね、放射能がこわいんでしょうか、一般の方々のボランティアの手も届かなくてね、物資もなかなかこういう隅々というか、そこまで届かなかったんですよ。
 周りの人たちもね、小さいお子さんがいる方なんかは恐いですからね、県外に出られてもう戻りませんって方もいるし、アパート借りて引っ越してるひともいるし・・・みんなバラバラです。
 津波や震災だけならね、これまでも復興してきたから大丈夫と思うんだけど、原発はねぇ・・・。爆発したんですからねぇ。
 うちから車で20分も走ればもう原発近くです。でもうちはさいわい放射線量が低くてね、なんとかいられるんです。50kmも離れてるのに高くて住めないようなとこがあったり、ほらね、牛肉もねぇ。距離じゃないんですからね。ほんっとに目に見えないからですね、防ぎようがないんです。せめて目にみえればねぇ。
・・・あの、お手紙にあったけど、お母様被爆なさってるって・・・ねぇ・・・
 ほんとに、こわいです。」

 南相馬市のIさんへのお手紙には、母が広島の原爆にあって被爆していること、その母が「二度と被ばく者を出しちゃあいけんのにねぇ」と胸を痛めていることを書いたのでした。
 広島の原爆と福島第一原発の事故とは違う、でも、目に見えない放射性物質におびえなくてはいけない、そのやるせなさは言葉になりません。

 でも、母も元気ですし、広島はとってもいいとこですよ、お好み焼きもおいしいし、いつかみなさんでぜひいらしてください、と言うと

「ええ、また、いつかみんなで笑って暮らせるようになったら、遊びにいきますねぇ。」と。

 その日はいったいいつなんだろう。
 電話のむこうとこっちで、涙がでました。

 こうして、「東北にタオルケットおくります」と声をかけさせてもらって、
 新聞に記事にしてもらって、
 それを見た方々が持ってきてくださったり、送ってくださったり、
 36枚
 自分一人じゃとっても用意できない枚数だけど、
 何万人という被災者の方からしてみればたった36枚
 だけど
 確実に36人の方は、見知らぬ遠い土地の広島からはるばる届いたんだげなと、夏の寝具で少しは涼しく寝られることになったんだと思う。

 思いつきから押し掛けてって、快く中継地になってくれた「お宙」の清水さん、布団屋みたいに会社を占拠してすいませんでした。梱包手伝ってくれたMさん、いろいろ問い合わせなどもサポートしてくださってありがとうございます。

 でっかい荷物は、クロネコさんがトラックで運んでくれた。
 2日3日かかって、東北道を走って、被災地までリレーで。

 荷物発送したら届くの当たり前なんだけど、そうやって人の手が隅々まで届いて運んでくれることは、考えてみたら実にすごいことだと思う。
 「荷物1個につき10円を寄付します」という取り組みは31億円という寄付金になり、ヤマト福祉財団「東日本大震災 生活・産業基盤復興再生募金」に合流させて全額被災地支援にあてられるそうです。

 そうやって届いた荷物を開いて、あれまあと喜んでくれた人がいて、こうしてお電話をもらいました。
 みなさん、いきいきと、はりのある、つよい優しい声の方々でした。
 
 わたしは被災地をしらない。行った事もない。
 どれほど大変か、語れない。
 お礼のお電話をいただいた方々にも、気の利いた事言えなかった。
 お体にきをつけて
 それしか言えませんでした。

 これくらいしかできなくてすみません。

 でも、タオルケット送ってくださったみなさんに、お礼の言葉はたしかにお伝えしますから。

 ひとまず、ご報告でした。

 

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